前田司郎「恋愛の解体と北区の滅亡」(講談社)

恋愛の解体と北区の滅亡

恋愛の解体と北区の滅亡


「愛でもない青春でもない旅立たない」から2作連続で。
うーん。やっぱりまだ確たる評価ができない。


会話や人物造形にセンスらしいものが見えるし、それを好むファンもいるだろうなと思う。
でもなー。
本作については、どうも舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」あたりの影響がはっきり見えすぎているような気が。


好き好き大好き超愛してる。

好き好き大好き超愛してる。


会話文とか主人公の「ト書き」的な記述にそれがあるのは、まあ、そんなこといったら、ある年代の作家で、舞城とか、前回のエントリで指摘した古谷実とかの影響をぜんぜん受けてない作家のほうが珍しいかもしれないから、そんなに大きな声で言うようなことじゃないかもしれないけど、宇宙人と主人公の日常のキョリとか、五反田やら新宿やらの特定のエリアを描写するテイストとかが微妙に似てると、それはどうなんだろうと。


いま見たら、本作は初出が「好き好き…」と同じ「群像」じゃないか。掲載は約2年遅れか。んー。同じ掲載誌でこれ載せるんなら、もう一つ先を見せてもらいたいのが人情のような。
キビしいかもしれないけど、少なくとも「好き好き…」ほどのインパクトはなかった。



でも、前田司郎の小説の本領は「グレート生活アドベンチャー」にこそあるとどっかで見たので、もう1回だけ評価保留で、次に大いに期待だ! エラそう!

前田司郎「愛でもない青春でもない旅立たない」(講談社)


愛でもない青春でもない旅立たない

愛でもない青春でもない旅立たない


劇作家でもある著者の初小説。
センスを感じさせる会話が随所に。それだけで十分価値があるけど、うーん、評価はちょっと保留ということで。


劇的なことが何もおきなくて、それがよいとかいう書評をどこかでみた。けど、褒めるとこはソコだろか? 違うと思う。
途中で出てくる夢やラストのプチ暴走をよしとする向きもあるかもしれないけど、どう見ても全体の足を引っ張ってる。ラストははっきり言ってただの「ブン投げ」だろう。


じゃ、よくないのかといったら、そんなことは全然ない。
いくつかの場面は、そんな切り出し方見たことない、てな感じで、とても魅力的だ。イメージする映像がどれも美しく感じられて、これってすごい才能だと思う。


書くかどうか迷ったけど、やっぱり書いとこう。
この小説は、古谷実のかの大傑作「グリーンヒル」の影響をはっきり受けている。違うかな。「なにそれ? 読んだことないし」とか著者に言われたりして。でもきっとそうだ。いやどうかな。

断っておくけど、影響受けてるからダメとか言ってるんじゃない。「ただ触発されただけ」以上のものを、本作は(そこここで破綻しちゃってるとはいえ)提示しようとしてる。それが何か部分的に実を結んでいるような気もするのだ。もしほんとにそうなら、そりゃ立派な仕事だ。でも、ちょっとこの見方にはいま一つ自信がない。なので勝手ながら保留。


とりあえず他の作品を読むことにしよう。少し間を空けて。あ、それより、著者の戯曲が上演されるのを見たいな。それにしても、岸田戯曲賞の選評のアップが遅いぞ、白水社


グリーンヒル(1) (ヤンマガKCスペシャル)

グリーンヒル(1) (ヤンマガKCスペシャル)

グリーンヒル(2) (ヤンマガKCスペシャル)

グリーンヒル(2) (ヤンマガKCスペシャル)

グリーンヒル(3) (ヤンマガKCスペシャル)

グリーンヒル(3) (ヤンマガKCスペシャル)

伊坂幸太郎三昧


ほんの数ヶ月前に初めて知った(だから遅いって)伊坂幸太郎に、ここ数日、浸っている。
「チルドレン」と「グラスホッパー」を(今頃)一気読み。
至福。
誰か早く教えといてくれよなー。


チルドレン (講談社文庫)

チルドレン (講談社文庫)


グラスホッパー (角川文庫)

グラスホッパー (角川文庫)

加藤一二三「一二三の玉手箱」(毎日コミュニケーションズ)


一二三の玉手箱

一二三の玉手箱


原則として、このブログでは読んでよかったと思った本しか取り上げない方針なんだけど、今回はちょっと例外。

先に言っておくと、加藤一二三九段のファンだ。
将棋の中身はもちろん、その強烈な個性も、面白く見させてもらっている。お金を払ってでも見たいと思わせる、数少ないプロ棋士の1人だ。きっと将棋がよくわからない方でも、著者に人間的魅力を感じるひとは多いんじゃないかと思う。


だからこそとても残念だ。
企画が加藤九段の強烈なキャラクターに完全に頼り切っていて、編集者が編集者としての仕事をした形跡がまったく見えない。


文章については、百歩譲って文体を最大限尊重して、あえて手を入れなかったと解釈してもいい(だとしても編集者が何もしないでいいわけではないけれど)。
しかし、この「編集されてなさ加減」はそんな次元じゃない。
著者に思い出の対局の数々を振り返させるのなら、なぜ時系列に並べるよう誘導するという最低限の手間を惜しむのか。
「熱闘譜」と題された章に並ぶページの、この寒々しさはどうか。まさに「載せただけ」。ページに工夫をこらす意識がびっくりするほど無い。何枚も付けよとは言わないが、せめて投了図や勝負どころの盤面はあってしかるべきではないか。また、番勝負ならそれが全体の中でどういう意味を持つ一局なのか等、当然付加すべき情報があるだろう。単純に並べるだけと割り切るつもりなら、時代がいったりきたりするのは何故なのか。
書き手のプロでない著者の責任は薄い。編集の問題だと思う。ここまで熱の入ってない編集は珍しい。


ネットで「加藤一二三伝説」が局地的に盛り上がっていると聞く。出版サイドの加藤氏を消費しようという思惑は覆うべくもない。一方で、著者と将棋に対する思い入れはまったくと言っていいほど感じられない。ファンにとっては悲しい1冊になっている。


著者と将棋に対して、普通に愛情を持った編集者の手になる次の一冊を待望する。

佐藤優「私のマルクス」(文藝春秋)

私のマルクス

私のマルクス


先日もちょっと取り上げた佐藤優「私のマルクス」読了。
国家の罠」に始まり、「獄中記」、「自壊する帝国」と立て続けに発表された近年の著作群に激しく打ちのめされた読者の一人として、氏の形成期の話はぜひ読んでみたかった。どうしたらああいう人物が出来上がるのか、ものすごく興味があったのだ。


果たして。期待を遙かに凌駕する面白さだった。驚愕、そして感嘆。意識的/無意識的な「創作」もきっとあるだろうが、それにしてもこの凄み。著者のいずれの行動も、自分なら決して取り得ない。怪物が誕生する過程を見せられているような気にさせられる。
早く続きを読ませて欲しい。そして、一連の著作をすぐにも再読しなければ。


印象に残った台詞が1つ。登場人物としては端役級にすぎない著者の上級生の言葉が、しかし鋭い。

「結局、佐藤君は革命の必然性を否定したい、つまり自分がインテリとして局外者でいたいから、そういう理屈を立てているんじゃないのかな」

これは痛い。



国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

獄中記

獄中記

自壊する帝国

自壊する帝国

「逃げたことを正確に記憶しておくことだ」

今読んでいる佐藤優「私のマルクス」(文藝春秋)に、中学生の優少年に対して、その頃親しくしていた東大院卒の元塾講師が、

「革命をしたいと思っていたが、僕は逃げた。佐藤君、人間は誰にも逃げなくてはならないようなときがある。そのとき重要なのは『俺は逃げた』ということを正確に記憶しておくことだ」


と話す場面がある。

何かで似たような言葉を読んだ憶えがある気がしてひっかかったんだけど、何だったろう。思い出せない。



私のマルクス

私のマルクス

森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」(角川書店)


夜は短し歩けよ乙女

夜は短し歩けよ乙女


久しぶりに「夜は短し歩けよ乙女」を再読。素晴らしさを再認識。やっぱりいいなあ。
全編通して傑作なのだけど、中でも第3章「御都合主義者かく語りき」は絶品。出色。
最初に読んだときは、これほど惹き込まれるのは少し見知ったというか、匂いのわかる世界の話だからかと思って評価を保留していたけど、十分再読に耐えられた。なんて言うと失礼で、それ以上。
いや堪らなかった。

太陽の塔」とともに、いつまでも本棚に置いておきたい1冊です。


太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)