一色伸幸「うつから帰って参りました」(アスコム)


うつから帰って参りました。

うつから帰って参りました。

脚本家・一色伸幸の名前を憶えたのは映画「木村家の人びと」でだったと思う。本書によると公開は1987年だったらしいから、大学1年か2年の頃だ。


その前年には、知名度的には「木村家」より数段上の「私をスキーに連れてって」が封切られているはずだけども、こちらについては公開当時の記憶が全くない。
この理由は割りと容易に想像がつく。関西で決して裕福とはいえない大学生活を送る身にとって、この映画(のプロモーション)で提示された世界はあまりにもリアリティがなかったのだ。

なんでかなと今考えると、経済的な理由はもちろんだが、単純に地理的な要因も大きかったのかもしれない。冗談でも何でもなく、甲信越や東北のスキー場は関西の平凡学生には相当な距離感があった。妙高とか志賀高原に仲間と2、3回は行った記憶があるが、まさに「遠征」という言葉がぴったりのかなりのビッグイベントで、少なくとも週末を利用してひょいひょい超えられるようなレベルのハードルではなかったように思う。
就職して東京の独身寮で、「私をスキーに連れてって」をちゃんと観たことがないと言ったら、東京の大学を出た同期に驚かれたことがあったようななかったような。


話を戻すと、「木村家の人びと」は、とても面白く観た。
映画そのものも好きな部類だったが、それ以上にこうした映画をつくる人たちのセンスに刺激を受けた。
監督・滝田洋二郎とともに脚本家・一色伸幸の名はインプットされ、その後意識してその作品を見るようになった。「僕らはみんな生きている」なんかは今も大好きな作品だ。


刺激的な作品をまさに「量産」していた90年代半ばまでと違い、最近は氏の名前を見る機会が減っていた。こちら側も意識的に探すことをしていなかったと思う。90年台後半の特異な経済環境に生きる中で、氏の作品を求める気持ちが自然に消えていたのかもしれない、が、これは乱暴な推測の域を出ない。いずれにしても、久しぶりに、本当に久しぶりに氏の名前を見つけたのが本書だった。


本書の主題についてはここでは書かない。ただ読むほかない内容だからだ。ただ、一色作品のどれか1つにでも思い入れのある方は読まれることをお奨めする。他の類書とは違う種類の感慨を抱かれるのではないかと思う。


1つだけ、どうでもいいことを書くと、一色氏が脚本の1本1本にここまでの思いを込められていたということに、失礼ながら、意外な印象を持った。勝手なイメージだが、もう少し客体化して物事を考える人というか、ちょっと違うかもしれないが設計士のようなタイプかと思っていたのだ。全然違った。少し驚き、そしてなぜか少し嬉しい気持ちがある。その理由は再読の際に考える予定だ。


木村家の人びと [VHS]

木村家の人びと [VHS]

私をスキーに連れてって [DVD]

私をスキーに連れてって [DVD]

僕らはみんな生きている [DVD]

僕らはみんな生きている [DVD]

黒川博行「疫病神」(新潮文庫)

疫病神 (新潮文庫)

疫病神 (新潮文庫)

性格的に連載小説は苦手でよっぽど面白くないとまず読まない。
なのに、その「よっぽど面白」い作品が珍しく2つも同時に進行中で、北方謙三「望郷の道」(日経新聞)と黒川博行「螻蛄(けら)」(週刊新潮)がそれ。
特に後者は名前も作風もよく知らないまま何気なく読み始めたらハマるハマる。今後もめちゃ期待。

本作は、その「螻蛄(けら)」の主人公コンビものが過去にも何作かあると知ってすぐに取り寄せたもの。すぐに惹き込まれ500ページ超を一気に読み切ってしまう。いやもうたまらない面白さ。大阪南部を知っている人はもちろん、知らなくてもこの世界にがっちり掴まれること請け合い。
すぐに他の作品も取り寄せないと。

朽木ゆり子「フェルメール全点踏破の旅」(集英社新書)


フェルメール全点踏破の旅 (集英社新書ヴィジュアル版)

フェルメール全点踏破の旅 (集英社新書ヴィジュアル版)

つくづく思うけど、小・中学校での西洋美術教育ってほんとに役に立ってない。教科書に世界を代表する名画が数多く掲載されていて、それを通覧することにもそりゃそれで意味はあるとは思う。だけども、幼い頭にいくつかの作品名と作者名はぼんやりとインプットはされたとて、その並列的な記憶がいわゆる教養として昇華されたかとか、少なくともそのとっかかりになったかというと、かなり怪しい。


例えば、絵画というものが、なぜ世に送り出されるのかという疑問。恥を忍んで告白するけど、大人になってしばらく経つまで、多くの名画が誰かの発注によって創作されるという単純なメカニズムをほとんど理解できてなかった。

宗教画が教会サイドの発注によって描かれたのは何となく想像がつく。ときの統治者の肖像画は権力サイドが発注したであろうことも容易にわかる。
しかし、じゃ風俗画は? 風景画や静物画は? この問いには恥ずかしながら今もきちんと答えることができない。その時代時代の絵画の位置づけや風俗、政治・社会背景をわかっていないと想像することも難しい。

「そんなのは絵そのものとは関係ない、付属的な知識だ」と言われる向きもあるだろう。絵を鑑賞するということは、そういう予備知識をいっぱい武装して頭ですることではなく、ただ観て感動すればいいだけのことだと。事実そうかもしれない。美術鑑賞の素人としてはそれを否定できないだけでなく、正直ほんとにそうなんじゃないのと思っている部分も実はまだちょっとある。でも、残念ながらどうやらそうではなさそうだ。そうした背景なんかまでも知ったうえで鑑賞したほうが、実はずっと面白い。本書はそうした基本的なことを押し付けがましくなく、素人にもわかりやすく教えてくれる本だ。


本書が美術に何の関心もなかったひとにもすーっと読める、その最大の理由はもちろんフェルメールという、“美術素人”にもファンの多い画家、作品が主題であることだけど、それだけではない。「旅」と銘打たれているように、紀行文的要素もあり、中に出てくる国の1つにでも行ったことがあったり、関心があるひとにはとても馴染みやすい。また、しかめつらしい美術解説書のような難しい解説文は極力排除されていて、かつ端的で、素人にも優しい。
さらに掲載されている写真がどれも美しい。発色を考慮して選ばれたであろう紙の質もよく、ページを捲るのが楽しい。フェルメールが好きでも、高価で場所もとる大判の美術書には手を出しづらいなと考えるひとは少なくないと思うが、そうした層にも格好の本になっている。

三宅伸吾「市場と法−今何が起きているのか」(日経BP社)


市場と法

市場と法


筆者は日経新聞編集委員(経済法制担当)。近年「暴れ馬」と化した資本市場を包囲する法制度や監視機能は十分整備されているか、ルールを運用する官や司法サイドは信頼に足る状況にあるかといった視点から、最近のインサイダー事件、粉飾決算、敵対的企業買収などのケースを、記者の立場で考察している。


近年の経済事犯がその判例の抜粋も含めて総覧的に整理されていて、例えば旬刊商事法務やら金融法務事情やらを毎号熟読しているような専門家の方々は別にして、一般の企業人にとってはお手軽で大変ありがたい。
また、社会的・政治的背景も織り込みながらの解説は、逆にそうした定性的な要素を取り除くことに重きを置く法曹専門書には期待しにくい点で、その意味でも有効だ。
本書が今この時に出版された意味・価値の大きさも強調したい。


日経ならではのディープな取材成果も、そこここに挿入されている。
例えば、日興コーディアルグループ粉飾事件で、日興の首脳がある証券取引所のトップに手渡したという上場維持を求める上申書の抜粋が掲載されていて、その内容とアクション自体に瞠目したが、この内容が公になるのは本書が初めてではないだろうか。
(ただ、日興事件に関しては、日経自体が放った「日興、上場廃止へ」との誤報とそれに端を発した各社の後追い報道、そしてその後の上場維持決定について、まるで他人事のように簡単にまとめていた。この、自社の報道内容に責任を負う気のまったく感じられない記述には、大きな疑問を持ったことを書いておきたい。今年3月13日のお詫び記事で「今後とも本紙はこの問題について詳細に取材、報道していきます」と表明した結果がこれなのだとすれば、このエントリーである種の評価と期待を示した者として、本当にがっかりしてしまう。この事件のこの局面では、客観的にみて日経は間違いなく1プレイヤーとして参戦していたのだし、それによって損失を被ったひとだって多いはずだ。能天気に「シティの強運」などと傍観者づらをされては困る。読者は鼻白むどころか、一種の諦念をもって呆れるほかないではないか)


注釈が多いのも誠実だ。それも、引用元が定本だけでなく、著名法律家のブログだったり、日経主催のセミナーでの発言だったりと多様なのも良。巻末に挙げられている取材協力者の一覧も壮観で、特に弁護士についてはちょっとした現在のスター弁護士リストになっていて、別の楽しみ方もある。


素人には読み解きにくい判例解説書の類いとは一線を画した、読み物としても相当に面白い1冊。金融マンだけでなく一般の企業人にとっても必読と言っても、決して言い過ぎではないと思う。

銀林みのる「鉄塔 武蔵野線」(ソフトバンク文庫)


鉄塔 武蔵野線 (ソフトバンク文庫 キ 1-1)

鉄塔 武蔵野線 (ソフトバンク文庫 キ 1-1)


終章の、主人公の少年に届けられた手紙のページを、何の心の準備もしないまま、不用意に朝の通勤電車の中で読んでしまい、思わず涙が吹き出て慌てるはめに。


まさに田園にそびえる鉄塔のごとく、唯一無二、まったく希有な小説として屹立する本書について、コチラに書かれていること以上に書ける評はない。

ただ付け加えるなら、大平貴之プラネタリウムをつくりました。」に登場する、少年時代の主人公の好奇心に真摯に応える、数多の無名の技術者たちの素晴らしさに胸を打たれたことがあるひとなら、本書でも最上の読後感を味わえることを請け合う。



「浩」さんのこと


サイト名を書くのに少し照れが入ってしまうけど、「豊乳in My Life」というサイトを長く管理・運営されてきた「浩」さんが亡くなられたと、同サイトのサブマスターの方が報告されていた。余命1年と告げられてから、約2年間、癌と闘われた末のことだった。

優しくて、品のある文章を書かれる方だった。
その系統のファン層だけでなく、そうした嗜好のない読者にも、面白く、十分に読ませる文体は見事だった。この種のサイトとしては稀有なことだと思う。

「浩」さんのブログには、体調のことや治療の経過、仕事の引き継ぎや身辺の整理の様子などが淡々と綴られていた。今春ご母堂が急逝された際も、驚きと悲嘆を記されながらも、その筆致が乱れることはなかった。そしてそうした話題の合い間にも、ご自身の嗜好に関して、一種の愛情に溢れた文章を書き込まれていた。そのどれもを、その精神力に驚嘆しながら読んでいた。
先日再入院されてからは書き込みが途絶えがちだったことから、この日がそう遠くないことは多くの読者が感じていたと思う。そしてその誰もが強く励ましの念を送っていたに違いない。

告知以降のことが綴られた「ファイナル Stage1」、「Stage2」という2つの文章がサイトに掲載されているが、この2編には特に激しく心を揺さぶられた。こんな文章はかつてみたことがない。「浩」さんの勇気に、この状況にあって率直に自己を見つめる強さに、愛しているものを最後まで愛していると言い続けた強さに感動した。書かれている中身の紹介は控える。内容的に全く受け入れられないという人も少なからずいると思うから、推奨もしない。ただ、こんなにも胸の熱くなる文章を遺してくれた「浩」さんに、心の底からの感謝と敬意を捧げるだけだ。


ぜひ生還して、「(アップできるかは)これはもう運次第」とさらりと書かれていた「Stage3」以降も読ませていただきかったです。ご冥福をお祈りします。ありがとうございました。