日本将棋連盟の女流棋士会の独立の話がひどい展開に

なぜか少しテレてしまうが、将棋ファン、棋士ファンの1人だ。
指すのも好きだけど、一部のトップ棋士の「勝負」のスゴさに、日々、大いに魅了されている。

そんなわけなので、この話にはがっかりさせられるばかりだ。
日本将棋連盟女流棋士会の独立の話がひどい展開になってきている。
最近の状況は「勝手に将棋トピックス」の「もず」さんが詳しくまとめられているのでご参照いただければと思う(将棋界の話題はこのサイトで「もず」さんのコメントとともに興味深く読ませていただいている)。

連盟理事会側の女流棋士会の内部分裂加速化を半ば目論んだ今回のアクションや、報道されているような米長会長や中原副会長のコメントの内容とスタンスは、たぶん、多くの人が「ズレ」を感じるものだと思う。いや、もっと本音でいこう。

「ひでーぞ、これ」

あー言ってしまった。

一連のこれ、外部者(=情報の受け手)が連盟側(=出し手)に比べて圧倒的に情報量が少ないという事実が前提にあって、意識的にか無意識にか、それを最大限活用しようという出し手の狙いがよく見える。というか見えすぎる。コスい。いや違うな。隠す気ないんじゃないのか?最初から。ひょっとして無邪気ってこと?

いや、あれだけのスゴイ勝負を、それこそ命かそれに近い何かを削って(陳腐な表現だけど、本当に命を削っているようにみえるんですよ。それこそ金本の素振り並み)ファンに見せてくれる棋士の方々には、それだけで十分で、ほかに何も求めることなどあるわけないし、世俗からは遠く離れてもらって全然OKっす!て感じだが、それにしても無防備すぎて、「誰か横にいるひと、ちゃんと世話してやれよっ」と言いたくなってしまう。
去年の名人戦問題のときに第一人者の2人を結果的にさらし者にしたことからいったい何を学んだのだ。→周辺のヒト

一般人にとって、将棋「界」のことなど、誤解を恐れずに言えばほとんど「どうでもいい」ことで、こちら側に「界」の情報などあるわけもない。その状態を有効活用してオピニオンの誘導を図りたいというのは、発信側の本音すぎる本音だろう(連盟の意図がそこまで明確かどうかはわからないけど、発信する狙いは究極ソコだろう)。けど、これはまあ、いわばメディアといえば新聞だけを意識すればよかった時代の話とでもいうべきもの。媒体の種類がこれだけ幅広くなって、外部だけでなく内部や周辺の個人もいろんな方法で情報を発信できて、従来の受け手がただの受け手ではなくなっている現在にとるべき広報戦略では勿論ない。少なくとも広報面で一定のレベルにある企業体は、こんな発想はとうの昔に捨ててる(と思う)。

でもこんな世間の常識は、連盟を含む将棋「界」にはなさそうだ。同じ時代に生きてるように感じられないとまで言うと言い過ぎだろうか。さすがにえらそうだな。でも3、4周は遅れてる感じがする。何か、非常に珍しいものを見させられている気分にさえなる。そして、その常識の無さは今回もたぶん「不幸」の方に転ぶ。残念でしょうがない。

ツッコミたいのは連盟の「広報」の話じゃない。いや、ええと、もちろんそこは大いに問い詰めたいんだけど、そこだけじゃなくて。
「協会」とか「連盟」とかの発想が古いのはどこでもみられる微笑ましい風景だという指摘もあろう。でも、たぶん将棋「界」に関しては、それとは違うレベルだと思う。あーあ。