30台後半のあるミュージカル俳優候補

ここ10年ぐらい、表参道にある美容院で月1回のペースで髪を切ってもらっている。担当していただいているIさん(男性)は、通いだした当初はおそらく若手か中堅になりかけぐらいだったんじゃないかと思うけど、いまや店長だ。

このIさんが、数年前からミュージカルを観るのが趣味になった。ウロ覚えだが、最初のきっかけはお客さんにチケットを譲ってもらったか、紹介されたか、何にせよちょっとしたことだったと聞いたように思う。

こちらも舞台好きだったので、「最近なに観ました?」「こないだ帝劇でアレ観ましたよ」「あ、どうでした? ●●さんの歌はよかったですか?」なんて会話を、二言三言交わすのが、Iさんとの間のパターンのようになっていた。

先月、Iさんの店からダイレクトメールが来て、みると3月末でIさんが退店するとある。へー独立か、引き抜きか、どっちにしてもすごいな、新しい担当者をつくるのも面倒だし、移る店の場所次第じゃそっちに行こうかな、などと考えつつ、先日月1回のカットのために店に行った。


「店を移るんじゃないんですか?」
「いや、この仕事、廃業するんですよ」
「え?」
「実はミュージカル俳優になろうと思って」


これは驚く。
失礼と思いつつ初めて年齢を訊くと、大体想像通り、30台後半だという。元々、ルックスは男性からみてもかなり良い方だし、スリムで姿勢も綺麗だ。しかしそれにしても。ヘアカット業界のことは知らないけど、この立地の、このネームの店で店長ということは、腕も評判もあるわけで。潔すぎる。

聞けば、この数年、観てるだけではなく向こう側に立ってみたいとの欲求が抑えられなくて、仕事以外のすべてを歌とダンスのレッスンに注ぎ込んでいたそうだ。去年あたりからはオーディションにも参加し始め、最近はいいところまで残ってきているとのこと。もともとセンスがあったに違いない。

「これより上に進むには、もうこっちの仕事を続けながらじゃ無理だと思いまして」「人生1回きりですし」と微笑むIさん。
対して、こっちは半ば呆然。

うーん、すごいな、そう簡単じゃないだろうな、ひとによっては無謀と言うかな、でもな、やっぱりな……。
何に、どの部分に衝撃を受けたのかがいまひとつ自分でもわからないまま、帰途に。
いつの間にか、いつか帝劇のポスターにIさんの名前が載ることを想像して、少しいい気持ちになっている自分を発見する。いやいや獲らタヌだと戒めて、気合いを送る。Iさん、きっと、絶対に、めちゃくちゃ大変ですよ。頑張って。

しかし、問題は来月から髪をどうするか。10年任せっきりだったものな。困った。



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