千原ジュニア「14歳」(講談社)


14歳 (MouRa)

14歳 (MouRa)


振り替えると、中学生の頃、世に言う「登校拒否」や「家庭内暴力」の話を耳にして最初に抱いた感想は、「そうか、そういう手があるのか」という、少々ピントのはずれたものだったように記憶している。そういう行動をとる奴が同級生や広く世の中にいると知ってからも、不思議にまったくの他人事のように捉えていたような気がする。
理由はよくわからない。「想像力が貧困だった」、「勇気がなかった」、「平凡だった」、どれもかなり当てはまっている。でも何よりも大きかったのは、自分がそれをやるには「もう遅い」と、何の根拠もなく決め付けていたことだったような気がする。
完全に記憶から消えていたそんなことを、千原ジュニア「14歳」(講談社)を読んで、思い出したりした。


本書は、いまはかなり穏やかになったが、かつては「繊細さ」と「鋭さ」を圧倒的なまでに前面に押し出していた、「千原兄弟」の千原ジュニア(長く「浩史」を見慣れてきたのでいまだにこの字面に慣れない)が、自身の「14歳」の頃を書いた自伝的小説だ。
筆致が瑞々しい。余計な修辞がないことの効果もあってか、読んでいて心によく響く。「詩」の匂いもする。

初出が月刊誌の連載だったからか、各章で同じような心象風景の表現が何度も繰り返し出てくるが、それがかえって、他者に目を向けられずに時間を忘れてただ一点だけを凝視し続けているような、そんな思い詰め具合をみりみりと伝えてくる。

いくつかのエピソードが綴られているが、なかでも「おばあちゃん」との金沢に旅行にいく第7章と、第9章の何年かぶりに「約束」を交わすことになるヘンな「友達」との話には惹かれた。

そしてハイライトは、「お兄ちゃん」からの電話から始まる最後のエピソード。
「お兄ちゃん」とは言うまでもなく、ジュニアが愛情を込めて「残念な兄」と呼ぶ千原靖史だ。靖史が結果的にジュニアをNSC吉本興業の養成所)に引き込むわけだけれども、その方法がまたなんとも靖史らしくて思わず笑ってしまう。靖史、もうちょっと説明したれよ。

あまりにも唐突な「明後日までに、ネタを創ってこい」の一言に、心臓が爆音を立てる主人公。なぜか湧き上がる小さな自信。初めて書いたネタを「お兄ちゃん」に読ませる間、どこを見ていいのかわからずキョロキョロする弟。読み終えた「お兄ちゃん」の一言、「ええやん」。

この弟にこの兄がいて、この状況の弟にこの状況の兄がいて、そして、このタイミングでこの場所に弟を呼んだ兄。大げさではなく、ちょっと奇跡的だ。
想像だけど、靖史の行動はきっと、練りに練った企みや計算があってのことじゃないに違いない。弟への愛情は否定しようもないが、でもそのやり口はある意味粗野で自分勝手で行き当たりばったりで、わかり易く言うとテレビで見る「残念な」キャラクターそのままだ。千人いたら他の999人全員にハマラないだろうそのアクションが、このときのジュニアにだけ、このうえない形でフィットした。この奇跡の瞬間がここには綺麗に描かれている。
兄の「ええやん」の一言。吉本の講師の「今日はお前らがいちばんや」の一言。兄への「ありがとう」の一言。
それらを読んで、震えるほどに感動してしまった。この読後感の良さはなんだ。

ちょっと困るのは、これから千原兄弟をテレビで見るとき、この本のことを必ず思い出してしまうだろうということ。本書の内容に引っ張られることなく、以前と変わらず靖史を「やっぱり残念だ」と思い続けたいものである。