岸田戯曲賞の選評 野田秀樹に比べて鴻上尚史がどうも…な件

日本の演劇界に「岸田國士戯曲賞」というのがある。

新人作家に与えられる戯曲の賞としては一番の「格」で、「『演劇界の芥川賞』とも称される」(主催の白水社HPより)のだそうだ。横道にそれるけど、この俗称、確かに演劇に関心ゼロのひとにもわかりやすいかもしれないが、でも主催者が自ら言っちゃうってのは、無邪気というか、屈折してるというか、いずれにしてもどうかと思う。大丈夫なのか?

白水社の岸田戯曲賞ページはコチラ

演劇好きな方からは「今さら何を」とお叱りをうけそうだけど、たまたま白水社のHPをみにいったら、1月下旬に今年の選考があったらしく、ひっそりと「受賞作なし」と発表されていた。

同社のHPには選考委員=井上ひさし岩松了鴻上尚史坂手洋二、永井愛、野田秀樹宮沢章夫の各氏の選評が掲載されている。実は、ここをときどき訪れるのは、野田秀樹氏の過去の選評を読み返すためだったりする。野田氏の書く選評は、簡単に言うと、とても「気持ちがいい」。

言うまでもなく野田氏は役者、演出家であると同時に劇作家だ。
20年以上にわたってこの業界を最前線で引っ張ってきた彼の仕事、業績をここで論評することなどとてもできない。さらっと書いてしまったけど、20年以上創作の世界で常に先頭グループにいる(しかも相当量のアウトプット)ってことがどれだけ異常なことか、ちょっと他のジャンルに目を向けてもわかる。

そんな野田氏が候補作と作者に向ける視線は、当然ユルくない。が、同時に自分自身を安全な場所に置いていない。同じ地面に立って、正面から作品・作者と対峙しているのが伝わってくる。

どんな賞の選考でもそうだと思うけど、良し悪しいずれの評価をするにせよ、評者側の立場というかスタンスや軸が問われるのはある意味で当然。だけど、えてしてそういうリスクをうまーく避けて、安全地帯からものを言ったり、もっと悪いと中身のあることをまったく言わなかったりする評者が(文学賞なんかで)多かったりするけど、野田氏の評にはそのいやしさがまったくといっていいほど無いのだ。

優れている点とそうでない点をそう感じた根拠とともに明示する。この才能のどこが新しい(と自分が考える)かを主張する。面白いと感じたことを「面白い」と言う。賞賛は惜しまない。受賞作には押さなかった作品に対しても真摯に論評する。自身の考えの背景として、現在の演劇状況をどう見ているかも提示する。そして、優れた作品、作者の出現を本心で喜んでいる(と思わせる)。ときには、ひょっとして嫉妬してる?とニヤリとさせたりもする(あえてそれを隠していないフシがある)。自分の同業者である戯曲作家への敬意をうかがわせる。その結果、氏の選評を読む側に、上演された芝居を見たわけでもないのに、その戯曲を読みたいという気持ちにさえさせる(実際、氏の論評を読んで、それがきっかけで松尾スズキの戯曲「ファンキー! 宇宙は見える所までしかない」を買いに走ってしまったことがある。幸福なケースだった)。最終的には、なんかしらんけど、元気になってしまってたりする。それでときどき読み返しにいってしまう。完全に想像だけど、論評された側もちょっと嬉しい気持ちになってたりするんじゃなかろうか。いやまそこまではないかな。なんにしても凡百の批評家になせることじゃあない。

で、鴻上尚史氏。氏の論評は、うーんちょっと一体どうしてしまったの?という感じだ。

例えば、鴻上氏が高評価した本谷有希子氏の『遭難、』という作品についての論評。

「(前略)『遭難、』は、その上演成果が素晴らしく、審査前には、授賞が順当だと考えていた。
 が、俳優の柄と戯曲上の書き込みの違いが、他の審査員にうまく伝わらなかったようだ。また、永井愛さんの強烈な疑問に対して、上演の時には気にならなかったことが、いろいろと浮かび、反論できなかった。
 上演成果は素晴らしかったのだが、それは、演出と俳優の力が大きく貢献したということだろう。(後略)」

推そうとした作品に対する評価を選考過程で修正することはまったく構わない。でも、このコメントはどうしたことだろう。戯曲賞の受賞作の選考をするという、その根本のところで、何かずれていないだろうか。

また、今回「受賞作なし」となったことについて。

「(前略)選考委員としては、非常に残念だった。
 長時間の議論がムダになったように感じ、虚しさが残った。
 全体の水準としては、決して悪くなく、特に三作は、筆力、構想ともにかなりの水準だっただけに、非常に惜しまれる」

この文章には何かが、「熱」といってもいいし「愛情」や「誠実さ」といってもいいけど、そんな何かが決定的に欠けていないだろうか。審査員が残念に思ったこと、虚しく感じたこと、そんなことは極論すればどうでもいい。「悪くなく」「かなりの水準だっただけに」「惜しまれる」。そんなことを言われて、候補者や一般読者は何を感じればいいのだろう?

ウロ覚えだが、鴻上氏は自身が岸田戯曲賞を受賞するまでに何回か選に漏れたことがあり、そのうちの1回(候補作は「ハッシャ・バイ」だったと思う)は今回と同様、「受賞作なし」での落選だったはずだ。当時、鴻上氏の第三舞台は人気がピークにあって、個人的にも好きでよく観にいっていて、この作品は氏の戯曲の中でもかなり水準の高いものだっただけに、「受賞作なし」の報に1ファンとしても「なんだそれ」とちょっと白けた記憶がある。

そんな鴻上氏だからこそ、もっと他に書くべき言葉があったんじゃないだろうかと思うのだ。


ファンキー!―宇宙は見える所までしかない

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ハッシャ・バイ

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